西アフリカ・ハウサ語圏に伝わる民話を、1913年の英訳から現代日本語に移したもの。語り口の呼吸をできるだけ残している。
読書を始めるにあたり
これは、マーラム・シャイフが語り、R・サザーランド・ラットレイが1913年に英語へ移した民話集の、現代日本語訳である。原典の英訳はすでに公有であり、誰でも読むことができる。ただし、読むことと、読めることは違う。
語りの終わりに置かれる「鼠の首を落とせ」のような決まり文句は、意味を通すために言い換えることもできた。しかし、意味の通らなさも含めてこの語りであると考え、そのまま残している1。
第20話|カボチャと乙女
これは、一個のカボチャと一人の乙女にまつわる物語である。
あるところに、アラバルマという名の富豪がいた。彼は多くの財をなしていたが、子宝には恵まれなかった。しかし、彼の側室の一人にワタパンサという女がおり、彼女が一人の娘を産んだ。アラバルマは、この幼い娘には何ものも触れさせまいと固く心に誓っていた。
その娘の名はフライラといった。ある日のこと、母が彼女を背負って藪の奥へと向かった。用を足させるためである。そこでフライラは、一個の若いカボチャを見つけた。それは親カボチャが実らせた唯一の実で、他にはなかった。幼い彼女は言った。
あの赤ちゃんカボチャを摘んで、遊ばせてちょうだい。
しかし母は言った。「さあフライラ、何を言うか。見よ、そこにはたった一つの赤ちゃんカボチャがあるだけだ。ほら、その母親がいる。あれを摘んでやろうではないか」。だがフライラは泣き出し、母は言った。「泣くなら泣いていなさい。だが、たった一つの赤ちゃんカボチャを摘んでやることはない」
二人は家へ帰ったが、幼女は泣き止まなかった。父が理由を尋ねると、母は顛末を話した。娘の父は言った。「戻れ。摘んで、娘に与えよ」。母は引き返し、カボチャを摘み取り、娘に渡した。その日以来、その赤ちゃんカボチャは乙女の後をついて回り始めた。そしてこう繰り返し言った。「肉を喰らわねばならぬ、フライラ、肉を喰らわねばならぬ」
人々が父のもとへ来て証言した。「フライラを見てください。赤ちゃんカボチャが後を追い、肉を喰らわねばならぬと言っております」。かくして、カボチャはヤギの群れ、羊の群れ、牛の群れ、ラクダ、奴隷、そしてついには村じゅうの人々までも次々に喰らい尽くしていった。
ついに残されたのは娘の父ただ一人となった。父は言った。「もはや私以外に何も残っておらぬ。我が身を喰らわんと望むなら、取って喰らえ」。幼きカボチャは父を掴み上げ、呑み込んだ。そして再び乙女の後を追う。彼女は逃げ、父の過越の祭の牡羊のもとへとたどり着いた。カボチャが迫り、乙女を捕らえんとしたその時、過越の牡羊が飛び出し、角をもって若きカボチャを突き刺した。するとたちまちそれは裂け開き、羊、山羊、牛、すべてが次々と飛び出してきた。
以上である。鼠の首を落とせ。
訳者より。 「肉を喰らわねばならぬ」の原文は I must eat meat の反復であり、韻律を持った呼びかけに近い。日本語では反復の効果が薄れるため、あえて同じ語形を繰り返した。
注
- ラットレイ自身の注によれば、この句は語りの終止を示す定型であり、内容とは無関係である。 ↩